座右の銘二つ

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好きな言葉というか、自分の中で特に大切にしている
座右の銘があります。

特にこれから紹介する二つの言葉が、
自分の人生の指針というか、考え方の軸というか、
こうやって生きていきたいという思いを代弁しているようで
すごく気に入っています。

まず、一つ目。

スヌーピー
You play with the cards you’re dealt …whatever that means.
配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどういう意味であれ。

時々ネットでも取り上げられる言葉で、知っている人も多いかもしれません。
この言葉が好きです。

若いころは自分に足りないものを持っている人に憧れました。
運動ができる、お金がある、自分に無い、積み上げてきた何かがある。
そんな人たちに対して、時にあこがれ、時にねたんで、比較しては消耗していました。

あるきっかけでこの言葉と出会い、それから少しずつ気持ちが楽になってきたのを覚えています。
特に20年30年生きていくと、ある意味可能性というのも少しずつ限定的になっています。

若いころは知識もなく、いろんな可能性があって、ある意味迷うことは仕方がないのかもしれません。
なので、少し年を取ってからのほうが、この言葉は浸みるのかもしれません。

もう今更じたばたしたって、身体能力や地頭の良さ、一流企業への就職チャンス
そういったものを得られる機会というのはほぼないといっていい。

じゃあ、今自分のリソースでできることはないか?
たとえ一流になれなくても、自分の努力でどこまで可能性を伸ばせるのか?

才能のなさを自覚し、自分を凡人だと認識することはあきらめのようでいて実は少し違っていて。
己を知るからこそ、じゃあ今の自分の手札なら何が最善の一手なのか?

そうやって考えることは、実はすごく前向きな取り組みだったりします。
自分自身、カードゲームだったり戦略ゲームが好きなので、
この「配られたカード」という言葉のセンスもすごく気に入ってます笑

二つ目

米倉誠一郎
転んだ人を笑ってはいけない、彼は歩こうとしたのだ

これも、どこで聞いた言葉なのかは忘れましたが、
一度聞いて以来心から離れない言葉です。

人の失敗を笑う人間には絶対になりたくないものです。

挑戦をするから失敗する。
失敗の先に成功がある。

今更エジソンの言葉を引用するまでもなく、
自分がなりたい何か、成し遂げたい何かがあるとして、
その目標が大きければ大きいほど、細かい失敗もあると思います。

また、このネット社会。いろんな人の行動が可視化される時代でもあります。
煌びやかな成功を収めている人もいれば、なかなか目が出ずにもがいている人もいる。
そのもがいている様を笑うことは、自分がやっていることの否定にしかならないわけですよね。

失敗のない成功なんてないでしょう。
失敗をしない方法は、挑戦をしないことです。

だとすれば、失敗なんて一時的なもので、人生の目標を成し遂げるための通過点でしかない。

失敗する人を笑ってしまえば、いずれ自分が挑戦するときに
笑われるかもしれない、そんな自意識が挑戦を妨げるかもしれません。

そもそも、人を笑う習慣がついてしまえば、挑戦したいとかそんな気持ちさえなくなってしまうかもしれない。

平均だか何だか知りませんが、そんな世間隊の良さとか、一般的な成功だとか、
そんなものに興味はなくて、自分の人生を自分でかじ取りできるような、
そんな時間とお金の自由が今は欲しいのです。

そしてそれを手にするためには、挑戦をしないといけない。
お金や時間、最悪仕事を失うリスクを取って商品を作り、それを世間の人に交換してもらえるように
磨いていかなければいけない。

だから、人の失敗は絶対に笑ってはいけない。
だってその人は、自分の希望に向かって、歩こうとしたのだから。
そしてその人を笑う人生を続けていたら、きっと自分も歩こうとしなくなるから。

ということで、座右の銘を二つ、紹介しました。
しかし先ほどの赤木の影響が強すぎて、座右の銘が増えるかもしれません笑

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